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各位の寄稿にたいする一当事者折原の応答3

折原浩

2004323

 

 

牧野雅彦氏の寄稿27日)への応答

 牧野雅彦氏が、ご多忙のなかを本コーナーに寄稿してくださったことに、感謝します。ただ、そう書いてすぐ、「そうすることが牧野氏にはご迷惑にならないだろうか」という疑念が涌きます。というのも、筆者は、拙著『ヴェーバー学のすすめ』(2003、未来社)の「あとがき」で、雀部幸隆氏、牧野氏、そして橋本努氏と「Eメールで交信し、筆者の草稿にコメントしていただき対話を重ね論点を明確にすることができた」(159ページ、下線による強調は引用者、以下同様)と事実を記し、「本稿の責任は、もとより筆者ひとりにあるが、本稿の諸論点につき、全面的または部分的に、ご多忙のなかを付き合ってくださった五氏に、筆者として深く感謝する」(169ページ)と締めくくりました。もとより、牧野氏にせよ、他の四氏にせよ、筆者の「身方」になってくださったとか、筆者「側」に「加担」してくださったとか、その趣旨に解されかねないことは、いっさい書いておりませんし、書くはずがありません。双方の見解の一致/不一致にも、あえて触れませんでした。ところが、牧野氏は、「あとがき」のこの記事から、氏が「かたちの上ではすでに折原氏の側に位置する」「内容の如何にかかわらず論争の一方の当事者に与する」との「印象をもたれると危惧され、「論争」への「参入」を「さしあたりは控え」る理由とされています。

筆者は、政治と学問とを峻別します。根のない水草が水面で絡み合いながら漂うような「人間関係」/集団形成は、個人を政治的には強めるけれども、学問的にはそれだけ弱めると思います。したがって、そうした(「自分がどう考えるか」よりも「他人にどう見られるか」の)「印象に引きずられることも、その切っ掛けをつくることも、極力避けたいと常日頃心がけています。ですから、羽入書には「『あっ、ヴェーバー駄目だ……』とわずか数秒で、苦渋に満ちた表情で吐き捨てるように断言された」(13ページ)と、あたかも「羽入氏の側に位置する」かのように書かれている松浦純氏にも、筆者の側からは偏見も先入観も交えずにお訪ねし、「ルター文献の使用と読解につき、基本的な手ほどきを受け、閲覧の便宜をはかっていただ」(拙著、「あとがき」、160ページ)きました。そうすることが、学者同士の付き合いの作法と考えるからです。牧野氏との関係については、拙著第二章注34が、氏との見解不一致ゆえに膨れ上がった事実を、その箇所で注記しておけばよかったのかと反省し、この点が不備とお考えであれば、お詫びします。

 

さて、本題に入って、ここでは「『倫理』論文脚注中の短い一文をどう読むか」という些細な問題をめぐり、(このコーナーにアクセスされる)第三者の方々にとってはおそらく退屈にちがいない議論を繰り広げなければなりません。そこであらかじめ、こうした議論の意味に関連して、ヴェーバーの講演『職業としての学問』から、つぎの一節を引いておきたいと思います(このコーナーの公開性を考慮し、牧野氏は先刻ご承知のことでも、補説し敷衍していきますので、ご了承ください)。

「じっさいに価値あり完璧の域に達しているような業績は、こんにちではみな専門的に達成されたものeine spezialistische Leistungばかりである。それゆえ、いわばみずから遮眼帯を着けることのできない人や、全身全霊を打ち込んで、たとえばある写本のある箇所を正しく解釈するのに夢中になる、というようなことのできない人は、まず学問には縁遠い人々である。」(GAzWL, 7. Aufl., 1988, Tübingen, S. 588-9, 尾高邦雄訳『職業としての学問』第68刷、1993、岩波書店、22ページ、下線による強調は引用者、以下同様)

この箇所の「専門的spezialistisch」を、尾高訳は「専門的」(ドイツ語なら定めしfachmännisch)と訳出しています。たった一語の違いですが、ニュアンスは変わります。「専門家的」と訳すと、「価値あり完璧の域に達しているような業績」は「専門家」でないと達成できない、逆に「専門家」はみな、そういう業績を達成している、と解されやすく、そう解されると、「専門家」としての処遇を与えられながら「価値ある専門的業績」は達成しない人もいる、という現実が看過されましょう。したがって、「専門的業績」にたいする「専門家」の責任という観念も、それだけ芽生えにくくなるはずです。他方、後半は、「専門家」か「非専門家」かにかかわりなく、「価値ある専門的業績」を達成するには、いざというときには細かな問題にも全身全霊を集中できなければならない、と解釈されるよりもむしろ、「専門家」は常時「遮眼帯を着け」て「専門の蛸壺」に閉じ籠もっていなければならない、あるいはそうしていてよい、自分の細かな専門的研究を、広く歴史や同時代の状況を見渡しながら位置づけたり、人間存在の原点に発する光に照らして捉え返したりする必要はない、という(現状に合った)見方に引き寄せて読まれてしまうでしょう。要するに、「専門家イデオロギー」の意味に解されやすくなりましょう。こうして、たった一語の違いも、現状の批判か、容認か、という大きな問題に連なってきます。

ところで、筆者は、この「専門家イデオロギー」も、その裏返し同位対立物としての「専門バカ」論も、ともに否定します。そのうえで、「専門的業績にたいする専門家の責任と社会的責任を問う立場を提唱します。「専門的業績にたいする責任」とは、「完璧の域」には達しなくとも「価値ある専門的業績」をみずから達成するという肯定面に加えて、たとえば羽入書のような、「専門的業績」と称して登場し、(「非専門家」のうちの無責任な人々には絶賛されようとも)専門的には無価値な際物を、まさにそのようなものとして暴露し論証するという否定的な側面も含みます。既成の「大学自治」論は、「専門家」としての処遇を受けながら(この肯定−否定両面の)責任は果たさないメンバーに、まさに「自治問題としてどう対処するかという難問を避け、そうした視点も問題意識も欠いているため、「集団的既得権(無責任権?)擁護のイデオロギー」と化し、外部に第三者機関」を設置してチェックしなければならないとする構想をたえず呼び出して、「悪循環」に陥らざるをえないのでしょう。他方、「社会的責任」とは、医師/技術者/自然科学者については問われるようになってきた「説明責任accountability」を、(「領域の専門家」を含む)「専門家」公衆にたいして負い、積極的には自分自身の専門的研究テーマの意味、消極的には羽入書のような「専門的」際物の無意味を、自分の属する「専門家」サークルの範囲を越えて、「専門家」公衆にも分かりやすく説明し、「虚像形成」(本コーナー掲載の「学問論争をめぐる現状況」§§912参照)を防止すること、こうした課題を専門家の義務(非専門家には問われなくとも、専門家としての自分には問われ、けっして放棄するわけにはいかない義務、いうなれば一種の"noblesse oblige")として引き受けること、を意味します。

とすると、ここではこれから、ヴェーバーの「高度に専門的な業績」に属すると思われる一問題に、一専門家としての牧野氏とともに、また、このコーナーにアクセスされる(この問題にかぎっては)「非専門家」の方々ともごいっしょに取り組み、「倫理」論文の「ある箇所を正しく解釈する」のに「全身全霊を打ち込んで夢中になる」経験を共有し、そうすることをとおして(筆者としては)「専門的業績」にたいする一専門家の責任と社会的責任とを同時に果たしていきたいと思います。

 

問題の箇所とは、「倫理」論文第一章第三節「ルターの職業観」の初めに出てくる長大な注のなかから、牧野氏が引いておられる一文です。まず、牧野氏と同様、梶山力訳/安藤英治編、第二刷、1998、未來社(以下、梶山訳/安藤編と略記)から引用してみますと、つぎのとおりです。

「然るにルッターは、各自その現在の身分に止まれとの、終末観に基づく勧告に関してklēsis»Beruf«と翻訳した後、旧約外典を翻訳するに当って、各自その職業(Hantierung)に止まるのを可とするとの、イエス・シラクの伝統主義的反貨幣増殖主義に基づく勧告に関しても、単に両者の実質的類似sachliche Aenlichkeit)のみから、ponos»Beruf«と翻訳したのである。」(梶山訳/安藤編、143ページ)

こういう一文の意味を捉えるには、前後のコンテクストから切り離さず、そのなかで考えることが必要かつ重要でしょう。しかし、さしあたりコンテクストは括弧に入れ、この一文中に、@「各自その現在の身分に止まれとの、終末観に基づく勧告に関してklēsis»Beruf«と翻訳」、A「旧約外典を翻訳」、B「ponos»Beruf«と翻訳」という三つの翻訳への言及があることに注意したうえで、原文を参照してみましょう(ドイツ語を履修しておられない方には恐縮ですが、しばらくご辛抱ください)。

Aber Luther, der in der eschatologisch motivierten Mahnung, dass jeder in seinem geganwärtigen Stande bleiben sollte, klēsis mit »Beruf« übersetzt hatte[@], hat [B]dann, als er später die Apokryphen übersetzte[A], in dem traditionalistisch und antichrematistisch motivierten Rat des Jesus Sirach, dass jeder bei seiner Hantierung bleiben möge, schon wegen der s a c h l i c h e n A e h n l i c h k e i t des Ratschlages ponos ebenfalls mit »Beruf« übersetzt[B].GAzRS, I, S. 68、隔字体による強調は原文、イタリック体は引用者)

  動詞に注意しますと、ご覧のとおり、@は過去完了、Aは過去、Bは現在完了というふうに、著者ヴェーバーは、時制を使い分けています。それに、@は、主語のルターにかかる"der……übersetzt hatte"の従属節(形容詞節)に出てきます。また、梶山訳/安藤編では「単に両者の実質的類似……のみから」というふうに、なにか「実質的類似」を軽んずるバイアスをかけて訳出されている原語は、nurlediglichではなく、schonです。この三点に留意し、著者がいわんとする真意を汲んで筆者なりに改訳しますと、下記のとおりです(Standを「身分」でなく「状態」と改める理由については後述します)。

「ところが、各自その現在の状態にとどまれとの終末観にもとづく勧告においてはklēsis»Beruf«と翻訳していた[@]ルターではあるが、その後、旧約外典を翻訳した[A]ときには、各自その職業にとどまっていてよいとするイエス・シラクの伝統主義的反貨殖主義にもとづく勧告においても、すでに両勧告が実質上似ていることから、ponosを同様に»Beruf«と翻訳している[B=「……と翻訳したが、その後この訳語が普及し、ルター派に継承されて、現在にいたっている」という意味の現在完了]。」

ここで、まえに掲げた梶山訳/安藤編の訳文とこの拙訳とを比較していただきますと、細かな違いよりもまず、前者では、@とA=Bという過去の二時点における差異だけが、現在の実存的問題から切り離されもっぱらスコラ的に問われているかのように、読まれかねません。それにたいして、後者では、現に自分が悩み、読者も囚われているにちがいない「職業義務観」をめぐって、読者と対話し現に自分たちの間でそうした観念を表している語»Beruf«を、その発生状態に遡って捉え返しながら、現在に身をおいてその現実的「文化意義」を読者とともに問うていこうとする実存的思考者著作家ヴェーバー(拙著、第一章、参照)の姿が、多少とも蘇り、彷彿としてくるのではないでしょうか。

しかも、梶山訳/安藤編の訳文は、著者ヴェーバーが、@とA=Bとを、過去におけるふたつの翻訳の段階的継起として時間的順序を追って叙述しているかのように読めますが、原文ではじつは、形容詞節の@を先行の対照例として対置することにより、主体ルターによるA時点の語»Beruf«創始Bその現在的帰結とに、力点が置かれています。

 

以上のように原文の意味を押さえたうえで、こんどはこの一文のコンテクストを視野に入れ、原文冒頭のAberなにを受けなににかかるか、を考えてみましょう(この問題設定には、宇都宮京子氏とのメール交信から教示を受けました)。著者ヴェーバーは、この注の先行部分で、ルターにおける語»Beruf«の「二種の用法」を挙示し、ⓑ両用法を「架橋しているschlägt」(「倫理」論文の読者が現に読んでいる版では、という含意の現在形。これも宇都宮氏の教示)のが「『コリントI』中の章句とその翻訳ihre Uebersetzungen(ルター本人訳とはいわず読者が現に読んでいる版の翻訳文という意味。同じく宇都宮氏の教示) であると述べ、「ルターでは(近年の普及諸版によると)当該章句が置かれているコンテクストはつぎのとおりである」とわざわざ普及諸版と断り、『コリントI』7: 1731をほとんど逐語的に引用して読者に具体的に想起してもらっています。そのうえで、ルターが、1523年の釈義では、20節のklēsisを、"Stand"の意味には解しながらも、「旧いドイツ語訳に倣って」まだ"Ruf"と訳出している事実を指摘し、このklēsisEhestand, Stand des Knechtesなどの「身分status, Standには相当しても、まだ今日の»Beruf«を意味してはいなかったことを(ブレンタノとの応酬から)強調し、ⓕ(同僚ダイスマンの教示と断って)ギリシャ語文献、たとえば11〜12世紀のTheophylaktosも、『コリントI』7: 20の当該句を、「いかなる暮らし向き、地区、または町村であれ[召しを受けた状態に止まれ]」と講釈し、まだ「職業」とは解していない事実を挙示しています。そしてこのあとに、例の一文がつづくわけですが、梶山訳/安藤編では、このつながり具合が、つぎのように読まれることになります。

「――畢竟、この[Theophylaktosの]章句においてもklēsisは今日のわれわれの»Beruf«(職業)の意ではけっしてない然るにAberルッターは、各自その現在の身分に止まれとの、終末観に基づく勧告に関してklēsis»Beruf«と翻訳した後、旧約外典を翻訳するに当たって、……ponos»Beruf«と翻訳したのである。」

ここだけに視野を狭め、かつ、Aberが、「各自……翻訳した」との、主語ルターを修飾する従属(形容詞)節にはかから、「ponos»Beruf«と翻訳し」という主節にかかる、という関係を見落とすと時間的順序を追って、「各自その現在の身分に止まれとの、終末観に基づく勧告」が『コリントI』7: 20を指し、ルターはまずこれを»Beruf«と翻訳し、つぎに旧約外典のponos»Beruf«と翻訳した、とする羽入(=牧野?)解釈が創成されましょう。そのばあい、読者と対話している著者ヴェーバーが、キリスト教文化圏の読者に「各自その現在のStandにとどまれとの、終末観に基づく勧告」といえば、パウロ/ペテロ書簡一般を指し(牧野氏の「素直な解釈」のように、ここを『コリントI』7: 20特定して読ませようとするのは、むしろ特異で、その旨の特記が必要とされましょう)、ルターがそのklēsis»Beruf«と訳している箇所とは、当該注のⓐで挙示しておいたから繰り返すまでもない、と考えても杜撰とはいえますまい。現に、キリスト教文化圏の読者ではなくとも、梶山/大塚訳、上(1955、岩波書店、107ページ)、大塚単独訳(1989、岩波文庫版第二刷、106ページ)では、このStand一貫して「状態」が当てられ、さらに阿部行蔵(旧)訳(1955、河出書房、173ページ)では、ここが「新約における『おのおの現在の己が境遇(Stand)にとどまるべし』という、かの終末観に基づく訓誡」と訳出されています。ヴェーバーによって「第一種用法の諸事例として挙示されているパウロ/ペテロ書簡のコンテクストが、この「終末観に基づく訓誡」に該当することは、挙示された箇所に当たってみれば明らかです。たとえば、『コリントI』でもヴェーバーが「第一種」用法に含めている1: 26のコンテクストは、「召されてキリスト・イエスの使徒となった」(1: 1)パウロが、「召されて聖なるものとされ」(1: 2)、「主イエス・キリストの現れを待ち望んでい」(1: 7)るコリントの信徒に向けて、「あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい」(1: 26)と呼びかけ、「無学」「無力」(1: 27)で、「世の無にひとしい」「卑められる」(1: 28)状態にあった者が、さればこそ神に選ばれたのだと説き、「その状態/姿勢を堅持し、この世の知恵/能力/栄誉を求めて、それらを誇りとすることのないように」と諭しています。この一例が、「各自その現在の状態に止まれとの、終末観によって動機づけられた勧告」に該当することは明瞭でしょう。他の諸箇所も同様です。じつは、この句を含む問題の一文にかんするかぎり、梶山訳/安藤編は、(おそらくは大塚、阿部両氏ほど新約に通じていなかったと思われる編者による)改悪というほかはなく、羽入(=牧野?)解釈は、(原典および大塚訳を注記してはいても、内容上、新約一般にかんする理解を踏まえて比較照合した痕跡がなく)この改悪に引きずられた誤読誤解というほかないのではないでしょうか。かつて東北大学他で教鞭をとったカール・レーヴィットは、その経験をとおして、日本人学者が西洋の思想/文化を皮相にしか理解できないのは、ギリシャ哲学とキリスト教にかんする基礎的な素養に欠けるためと分かった、とどこかに書いていました。この警句が、いまなお、いや、いまではいっそう有効であるとすれば、それはたいへん残念なことです。

ここで、訳文でなく原文を、そのコンテクストのなかで捉え返すと、著者ヴェーバーの論旨は、大意つぎのとおりに解されましょう。すなわち、パウロ/ペテロ書簡一般「神の召し」「召し出された状態」の意味に用いられ、ルターの「第一種」用法として»beruff«と訳されていたklēsisは、『コリントI』7: 1731のコンテクストでもまだ身分Standどまりで今日の現に読者が手にしている普及諸版のような»Beruf«の意味は帯びていなかった。ところがAber、ルターは、後に(1533年)『ベン・シラの知恵』11: 20, 21を訳すときには、(片や終末論、片や伝統主義と)宗教思想的基礎づけは異なっていても、「召された状態にどどまれ」「伝統的秩序のもとで指定された職務にとどまれ」という「事柄としての類似性」からしてすでにschon(という意味は、このあとのコンテクストで導入される、ルターにおける「摂理観の個別化/精緻化」という主体的契機の関与を待たなくとも)、"ergon"ばかりか"ponos"にまで»beruff«を当てることができた、と。

改訂稿では、このあとに「これこそ重要な、注目すべき点である。前述のごとく、『コリントI』7: 17klēsisは、今日の意味における『職業』を意味するものではけっしてない」(梶山訳/安藤編、143ページ、下線による強調は引用者)と加筆されます。これは、「『コリントI』7: 17に始まるコンテクストでは、klēsisがまだ『身分』と解されていたのに、『ベン・シラの知恵』11: 20, 21で(他の箇所では»beruff«と訳されていた)klēsisが『世俗的職業』に適用され、ここに初めて、『使命としての職業』を意味する今日の語Berufが誕生する」という趣旨を、ブレンタノへの応酬として再度強調しているわけで、上記のコンテクストに整合的に収まります。牧野氏は、この加筆が「だめをおす」といわれるのですが、筆者には、牧野氏流の「素直な(naivな?)解釈」に「だめをおす」以外、どういう意味で、なにに「だめをおす」のか、理解できません。

上記のコンテクストのなかで、著者ヴェーバーが、意図して明示的にルター聖書の「原典」でなく普及諸版を用いた趣旨は、つぎのとおりでしょう。すなわち、翻訳者ルターの精神からする意訳が、その後普及し、現に読者が手にしているルター聖書のほかならぬ普及諸版もそれにしたがっているばかりか、ルター本人では「架橋句」をなすだけだった『コリントI』7: 1731klēsisまでもいまでは現に読者が見られるとおり身分Stand」の域を越えて「職業Beruf」の意味に解され、訳語もBerufに統一されている。ところがルター本人においてはまだそうではなかったこの間(ルター本人からルター派をへて現在にいたる間)、どういう歴史的経緯から、『コリントI』7: 1731klēsisまでがBerufと訳されるにいたったのか、ルター以降に展開された近代「職業」社会で、「身分」よりも「職業」が重きをなしてきた歴史情勢に逆規定された結果か、それともなにか宗教思想上の改変がなされた結果なのか、などの問題は、また別個の固有の意味におけるルター/ルター研究ないしは聖書翻訳史研究の)課題とされよう。それはともかく、ここで問題の「神与の使命としての職業」を表す語"Beruf"創始、ならびにその影響が現在におよんでいる歴史的連関事実はあらかじめ現在の普及諸版を参照しこれをルター本人におけ歴史的経緯(かれの思想的変遷と訳語選択への表われの諸相)と対比することをとおしてこよなく現在の読者に感得/理解されるはずである、と。

このように、過去の事実を、たんに過去のこととして確定するだけではなく、その現在的文化意義」を、読者との対話において読者とともに問い解明していくところに、実存的思考者ヴェーバーの著作の本義があるといえます。そのヴェーバーにとっては、『コリントI』7: 1731が「架橋句」となって『ベン・シラの知恵』のergonponosにも「第一種用法のberuffが当てられ、「神与の使命としての職業」という語義と語"Beruf"が(原語の直訳としてではなく、翻訳者ルターの精神において)創始された、という大筋を確認できれば、7: 20たった一箇所のklēsisが、上記ⓓで確認した1523年釈義のruffのままだったか、1533年の『ベン・シラの知恵』独訳までに(前綴be-を付けて多少意義を強めた)類語beruffに改訂されたか、それともドイツ人教会史家カール・ホルのいう「ルター流」(拙著、131ページ、注33、参照)で相変わらず混用されていたか、というような問題は、ひっきょう第二義的なスコラ的問題にすぎず、わざわざ原典に当たって調べるまでもないと(初版でも改訂に当たっても)判断されたでしょう。かりに、ほかならぬ『コリントI7: 20聖俗両義を併せ持つ語"Beruf"創始されたと主張しているのであれば、話は別です。しかし、じつはそうではなくて、『コリントI』7: 20は「架橋句」の一部にすぎないというのです。しかも、重要なのは、著者ヴェーバーが引用に先立って明示的に述べている通り、7: 20一箇所ではなく、そのコンテクストです。前後に出てくる、1819節の割礼/包皮別(ethnic status)、2123節の奴隷/自由人別(social status)、25節以下の配偶関係別(marital status)といった「諸身分statūs, Ständeの具体例が重要で、そうであるからこそヴェーバーは、「普及諸版」でそこのところをほぼ逐語的に引用し、読者に具体的に想起確認してもらおうとしたのでしょう。これを、「源氏物語研究」に「谷崎源氏」を使うようなものだとか、「聖書翻訳史研究」をOEDで代用していいのか、などといって非難するのは、比喩を間違えているのです。「倫理」論文は、「源氏物語研究」に相当する「固有の意味におけるルター研究」でも、聖書翻訳史研究でもありません。むしろ、そうした非難は、非難者のほうが、「倫理」論文の本義も「全論証構造」も顧みず、「スコラ的/パリサイ的原典主義」の生硬な遠近法を持ち込み、そうしている自分の錯誤を自覚できない、さればこそ「ピント外れ」の非難を得々と披瀝できる、という事態の証左にほかなりません。「遮眼帯」を着けっぱなしで、大筋大局を見ず、没意味的「素材探し」に憂き身をやつしていると、そうした視野狭窄と倒錯に陥ってしまうのでしょう。

 

さて、羽入氏は、「ヴェーバー自身が、ルターは『コリントI』7: 20klēsis"Beruf"と訳出した、と主張している」と、例のとおり冗漫に繰り返していますが、その論拠は、つぎのふたつでした。ひとつは、同じ注の『エフェソの信徒への手紙』四章にかんする議論から、「ルター初期の用語法における"Ruf""Beruf"との混用」(GAzRS, I, S. 60、梶山訳/安藤編、141ページ、参照)という記述を抜き出し、この「混用」を『コリントI』7: 20の用例における時間的揺れにすり替える議論でした。ところが、この議論が成り立たないことは、拙著で論証しました(75-9ページ、参照)。いまひとつが、ここで問題とした一文の「終末論的勧告」を『コリントI』7: 20と解する議論ですが、これも、以上のとおり、パウロ/ペテロ書簡の根本性格にかんする無理解から、梶山訳/安藤編の誤訳ないし不適訳に引きずられ、「終末論的勧告」を『コリントI』7: 20と短絡的に特定/同一視する無理な解釈であったと判明しました。

これで、羽入氏の主張は、ふたつの論拠を奪われ、崩壊したことになります。ヴェーバーは、ルターが『コリントI』7: 20klēsis"Beruf"と訳出したと、主張してはいません。ですから、ルターが『コリントI』7: 20klēsis"Beruf"と訳出していなかった事実(これはなるほど、羽入氏が初めて発見し、立証した事実ではあります)を、なにか不都合と見て、現行普及版で「代替」し、「隠蔽」する必要もなかったのです。ヴェーバーが現行普及版を使ったのは、なにか「原典」と取りちがえた、「原典」を調べられなかった、という(スコラ的/パリサイ的原典主義者がいとも安易に想定しそうな)消極的理由からではなく、むしろ正反対に、かれの著作活動の本義からくる積極的な理由からでした。ヴェーバーは、現代の読者が読み慣れ親しんでいる現行普及版を、まさにさればこそ例示/例証手段として取り上げ、その類例との対比において読者自身がルターにおける語義語創造の現場に立ち会いその特性と文化意義を捉えられるように配慮し、そういうかれ独特の叙述を進めているのです。羽入氏は、ヴェーバー的叙述のそうした根本性格を理解せず、氏自身の生硬なスコラ的/パリサイ的原典主義を持ち込んで、評価を覆すことしか考えませんでした(そのため、唯一の新発見事実をルター/ルター派研究の方向で活かす道も、みずから塞いでしまっているのです)。

 

もとより筆者は、牧野氏を羽入氏と同一視はしません。牧野氏のお仕事、ことに近著『歴史主義の再建――ヴェーバーにおける歴史と社会科学』(2003、日本評論者)を「専門的業績」として高く評価し、拙稿「ヴェーバー『プロテスタンティズム論文』の全論証構造」(『未来』三月号、32-39)でも参照させていただきました。著者には敬意を抱いています。むしろ、率直にいえば、そういうれっきとした専門的ヴェーバー研究者の牧野氏が、なぜ羽入書ごときにこれほど動かされ、引きずられるのか、不思議でなりません。この事実もまた、筆者が「これはいかん」と羽入書論駁に踏み切り、「返す刀で」ヴェーバー研究者の対応を批判しなければならないと考えた理由のひとつです。

牧野氏は、羽入氏に引きずられて「スコラ的、パリサイ的原典主義」の遠近法に乗ってしまい、これを前提に、「ヴェーバーも一人の人間ですから、なにかの『錯誤』があってルター本人の訳と取り違えるということもありうることだと私は考えております」と語り出されます。いまや、この「ヴェーバーも一人の人間」という口吻が、一時期の「聖マックス崇拝」への同位対立にすぎない「偶像破壊」の風潮に棹さして、しばしばいとも気楽に漏らされるようになりました。たとえば、「山本七平賞」選考委員・中西輝政氏の選評「『偉大なウソ』への一刺し」(Voice1月号、196-7ページ)も、その一例です。こうした精神状況にたいして、筆者は問い返さざるをえません。いうところの「人間」を、自分に合わせて低水準に措定し自己慰撫に耽り、「ヴェーバーが(一人の人間として『錯誤』を犯しうるとしても)、こんなつまらぬところでこんなつまらぬ『錯誤』を犯すだろうか」と問いもせず、思ってもみず、むしろ筆者がそう示唆すると、自分の現状に居直り、むしろ「それこそ聖マックス崇拝」とばかり逆襲に転じ、自分のより高きを目指そうとしない)「大衆人的安住の境地に固執する退嬰的頽廃的風潮が、この日本社会を覆い、若い世代を蝕んでおり、これが、学問を含む日本の将来にとって大きな脅威をなすのではないか、と。牧野氏こそ、こうした「流れに抗する」「中堅」のお一人と期待しているのですが。

こういうばあい、筆者はつねに、先達世良晃志郎氏の言葉を思い出します。氏は、『支配の社会学』の訳業を完成された「あとがき」で、「ウェーバーの難解さは、決して彼の概念や論理の晦渋さや不明確さによるものではなく、また純粋に語学的な困難に由来するものでもない」(II, 1962, 創文社、665ページ)と記され、当の「難解さ」の由来を、古今東西の膨大な史実を注釈ぬきに引き合いに出すことに加え、つぎの点に求められます。「第二の事情は、ウェーバーの叙述が、厳密な概念規定と論理的一貫性とによって貫かれているという事情である。そのために、ウェーバーをよむ場合には、他の著作をよむ場合よりもはるかに執拗な形で彼の論理の展開を追求してゆくという努力が必要になる。論理の展開を見失うときには、彼の叙述は完全に理解不能なものになってしまうからである。読者の中には、ウェーバーの翻訳や彼についての解説をよまれて、論理の攪乱や、あるいは論理的発展の系列の中の一つの環が脱落したことによって生ずる論理の中断に出合って、いいようのないはがゆさやもどかしさを感ぜられた経験のある方が少なくないであろう。ところで、この彼の論理主義は、他方では、彼の著作をある意味では非常によみ易いものにもしているのである。すなわち、論理が通らないときにはそこには必ず誤読ないし誤訳があるものと考えてもう一度検討しなおしてみることが必要になるし、また逆に、論理が一貫して貫かれてゆくときには、彼をほぼ正確に理解しえているという安心感をもつことができるのである。しかも、ヴェーバーの論理は、通常人の理解を絶するような悪い意味での『深遠な』形而上学的論理なのではなく、健全な常識をもって十分に理解することのできるものなのであるから、論理が通るか通らないかということによって理解の当否の見当をつけてゆくというよみ方は、予想以上に大きな効果をもつのではないかと思われる。この邦訳においても、訳者は、くだけた日本語にするということよりも、論理のつながりをできるだけ明瞭に表現しうるような訳文を作ることに努力したつもりである。」(666-7ページ)

筆者にも、ヴェーバー原文の難所にさしかかり、そのつど自分のほうに「必ず誤読ないし誤訳があるものと考えて」呻吟の末、ようやくヴェーバーの論理の筋に到達し、粒々辛苦の訳文に表明する、といった経験があり、そのたびに、世良氏のような先達をもてた幸せを噛みしめたものでした。このことを、拙著にもしたためた(126130-1ページ、注930)のですが、その趣旨が牧野氏に伝わっていなかったとすれば、とても残念です。なるほど、世良氏や筆者のようなスタンスは、「聖マックス崇拝」と見紛われやすいでしょう。しかし、かりにそうだとしても、そういう「他者崇拝」は、「自己崇拝」「自己陶酔」という「偶像崇拝の最悪種」に比べればまだましです。というよりもむしろ、人間存在の原点に発する光に照らされて、すべての偶像が偶像として見抜かれたうえ、いったん他者の「無謬性」を措定してかかることは、「おのれをむなしゅうして対象に迫る」、「雑念を鎮め、(光に照らされて)対象に映し出されてくる真理を、みずから映し出そうとする」努力を促し、これこそが学問上生産的な成果をもたらすのではないでしょうか。

少なくともこの『コリントI7: 20問題にかんする筆者の解釈は、そのようにしてえられたものです。ですから、牧野氏がそれを、「問題を回避する実に巧みな読み方だ」と(あたかも『箴言』22: 29を引くかのように)捉えられ、「ヴェーバーが『コリント前書』第七章の当該個所でルター訳ではなく現行版を使っていた」という(羽入=牧野?解釈にとっての)問題点が、「折原氏のような読解によってクリアされれば羽入書の衝撃力は相当に減殺されることにもなるでしょう」と書かれているのを読みますと、「折角ですが、そうした規準による評価は、ご辞退します」とお答えするほかはありません。というのも、筆者は、ありもしない「羽入書の衝撃力」に振り回されて技巧を弄することなど思ってもみないからです。むしろ牧野氏が、羽入氏に引きずられて『羽入書の衝撃力』という偶像を前提としてしまうから、筆者の解釈も、それを「減殺」する「ためにする巧みな議論」としか映らないのではないでしょうか。

そのうえで牧野氏は、筆者の解釈が「[上記の] 問題を回避する実に巧みな読み方」ではあるが、「『プロテスタンティズムの倫理』論文当該註の読み方としてはすこし無理があるように思え」るとして、「倫理」論文とキリスト教関係の研究者 (牧野氏は明示的に書いてはおられませんが、おそらく「専門家」)の意見を求めておられます。専門家の所見を求めること自体はたいへん結構なことで、筆者からも、ぜひお願いしたいと思います。拙著でも、同じことを要望しています。

しかし、牧野氏がこの段階で、そういう提唱をなさることにかぎっては、異議を申し立てざるをえません。ちょうど「教科書裁判」を闘っていた家永三郎氏が、「お互い専門家ではないのだから、法律専門家の意見を聴こうではないか」という林健太郎氏の提唱に激しく反発したように。というのも、牧野氏は、拙著の第二章注34が、主に牧野氏個人に宛てて書かれていることをご承知のうえ、その内容には論点ごとに逐一お答えにならず、なにか (「人にどう見られるか」「どういう『印象』を与えるか」という「交換価値」視点から)「折原側に加担してはいない」と「身の証を立てる」ためだけかとさえ思える、(「じじつどうなのか」「どう考えるのか」という「使用価値」視点から見ると)学問的には一歩も前進していない応答を、本コーナーに寄せられただけで、ヴェーバー研究者としての責任をまだ果たし尽くしてはおられません。しかも、問われている問題は、ルター研究、キリスト教研究の問題ではなく、あくまでヴェーバー研究の問題です。羽入氏は、「もっぱら『知的誠実性』の観点からヴェーバーの『全人格』を問うているのであって、ヴェーバー・テーゼの『歴史的妥当性』問題など埒外だ」と宣言し「警告」しているのです。「自殺要求」と「生産的限定論争」(拙稿「学問論争をめぐる現状況」、本コーナーに掲載、§1参照)とをとりちがえてはなりません。少なくとも牧野氏は、『コリントI』7: 20問題が争点で、拙著の第二章注34がこの争点にかかわる筆者側の見解であると公表され、確認されたのですから、いまやこれに逐一具体的に反論されるべきです。そのうえで、ルター研究、キリスト教研究の専門家に意見を求められるのなら分かります。そうでなければ、ご自分は逃げ腰で「専門家」に「下駄を預け」ようとする、「専門家イデオロギー」への加担者と見なさざるをえませんし、専門家にたいしてもたいへん失礼な話です。

最後に、牧野氏は、「これまで多くの人に読まれてきたはずのウェーバーのテキストについてさえ解釈の分かれるところがある、という事実を羽入・折原論争ははからずも明らかにした」と述べられたうえで、「今後論争に参入される方々が、この個所についてどういう理解をされているか、この個所をどう読まれてきたのか、参入されるにあたってまずこの点を明らかにされる」ようにと、途方もない参入条件を設定しておられます。だいたい、「ヴェーバー研究者」でも、自分の研究テーマにかかわる価値関係的パースペクティーフからこの注に焦点を合わせている、ごく少数の人々を除き、ここでとりあげた一文ばかりか、ルターの語義論にかかわる詳細な三注も、原文と照合しながら精読したという人は、ごく少数、ひょっとすると訳者を除けばひとりもいないのではないでしょうか。「倫理」論文を読んでも、ヴェーバー・テーゼそのもの(ないしは「全論証構造」)を読み取っていない、あるいはテーゼの重要な環をめぐって読解/理解が分かれる、というのであれば、話は別で、大問題でしょう。しかし、この第一章「問題提起」第三節「ルターの職業観」冒頭の三注については、ざっと読んで大意を捉えていさえすれば、さしあたりはそれで十分ではないでしょうか。いざというときに「何千年もまえから解かれずにきた永遠の問題である」かのように、「全身全霊を打ち込んで夢中になる」ことができれば、それでいいのではないでしょうか。

「もっとも有名な」「代表作」だから、細大漏らさず、ラテン語/ギリシャ語/ヘブライ語まで調べて読み尽くし、解釈が一致するまで議論していなければならない、などというのは、それこそ「専門家イデオロギー」以外のなにものでもありません。人あって、大意を捉えるだけの大雑把な読み方では「ヴェーバー研究者」とはいえない、あるいは「ヴェーバー研究の専門家」とはいえない、と決めつけるとすれば、その人はかえって、「木を見て森を見ない」没意味的「素材探し」、「専門家イデオロギー」の虜にすぎず、そういう自分の規準を絶対化しているだけではないでしょうか。そんなことに囚われていると、齢50に達しても、「倫理」論文「問題提起」章中ふたつの節の冒頭にさえ、取っ掛かろうにも取っ掛かれず、低迷をよぎなくされたまま、自分の虚像を追いかけて「一生を棒に振る」ということにもなりかねません。

筆者はといえば、ある特異な関心から、すなわち、大塚久雄氏の訳業を批判する要件として、また「素材探し」をかねて、梶山/大塚訳から大塚単独訳にかけての改訂の跡を、もっとも厄介と見た件の三注について、原文と照合しながら検証するという作業をいちおうはしていました(ちなみに、この三注にかけては、梶山/大塚訳には見られた誤訳/誤記が大塚単独訳では改められ、大幅な改善が見られ、「素材探し」は不発に終わりました。筆者は、故安藤英治氏とともに、ヴェーバー著作を私物化する大塚単独訳の批判者ではありましたが、大塚氏が晩年に内容上はよいお仕事をされた事績のひとつまで否定するつもりはありません)。また、古典語の類については、当該注のみでなく、「倫理」論文ほかヴェーバー文献に夥しく出てくる原語について、いちいち専門家に問い合わせていたのでは迷惑にちがいないので、いちおう自分で原語引用句の大意を読み取れるくらいまでは勉強しました。そうしたことが、羽入書の「虚仮脅し」に屈せず、正面から対応するのに多少は役立ったと思います(ですから、若いヴェーバー研究者あるいは文献研究者には、「スランプ」に陥ることもありましょうから、そういう時期には「作業療法」をかねて古典語をひとつずつ修得していくことをお勧めします)。しかし本質的には、「倫理」論文の本義大意大筋を捉えていたことと、世良氏から学んだ読解のスタンスから、安易に「人の子の錯誤」という錯誤に陥らず、逆に羽入氏がどこでそういう錯誤に陥っているかが透けて見えるということが、いっそう重要と思います。ですから、ヴェーバー研究者のみなさんには、牧野氏が設定されようとした条件には囚われることなく、大胆にこのコーナーの論争に参入してくださるように、当事者のひとりとしてお願いいたします。

牧野氏には、やや厳しい反論を呈しましたが、『歴史主義の再建』にいたる一連のお仕事とそこに示された篤実な研究者としての姿勢と資質への敬意と期待には、いささかも変わりありません。むしろ、専門外の問題にたいする専門家としての謙虚さが、このばあいには裏目に出て、羽入書への評価を過当に高めてしまったのではないかと思います。 

それにしても、他方の当事者主役、羽入辰郎氏はいったいどうしておられるのでしょう。そろそろ出番ではありませんか。

2004323日記)